2016-10-15

限りなく透明に近いメモワール



数日前、ある人がジョナス・メカスの撮影したザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド結成時のライブ映像を教えてくれたのですが、大学生のころ『ウォールデン』を見たときはヴェルヴェッツと気づかずに見ていて、ほんの数日前までそのまま気づかずに生きていたということにああっと驚きました。ふだんアート・フィルムに触れるときって前調べも後調べもしないので、だいたい何にも理解しないうちにあらゆることがわーっと通りすぎてそして忘れてしまう。殊にあの時はメカスが「わたしの日記映画をどうかただ見つめてほしい」と語っていたので、いつも以上にただ見つめるようにしていたんだと思います。そういえば高校生のころ『リトアニアへの旅の追憶』を見たときも何もかんがえずにただ見つめていた。知覚が意味らしきものに辿り着かないよう細心の無意識を払って。当時わたしは重い病気を患っていてぼんやりは得意だったんです。ぼんやり、というか、もうろう、ですね。思うに、日々を生き抜くために情報の解像度をできるかぎり下げようとしていたのではないか。たぶん。そんなこんなでその日も椅子に凭れながらすこしずつ意識を失っていって、さいごには目の前がまっくらになってしまったので、目の前で手を差し伸べてくれたあの老人が本当にあのメカスだったのかどうか、本当にざんねんなことに現在もわからないままなんですよ。