2018-11-07

死に至る記念碑





秋の連休は、絵本の整理をした。

整理の最中、あたらめて感じ入ったのが、絵本におけるジャック・プレヴェール使用率の高さ。たしかにプレヴェールって絵が描きやすそうだ。ポール・エリュアール、フランシス・ポンジュあたりも絵筆が伸びるのではないかしら。

孤独、あきらかにかたつむりは孤独だ。あまり友達がいない。だが、幸福であるために友達を必要とするのではない。彼は実にうまく自然に密着している。密着して、完全に自然を楽しんでいる。かたつむりは、全身で大地に接吻する大地の友だ、葉の友だ、敏感な眼玉をして昂然と頭をもたげる、あの空の友なのだ。高貴、鷹揚、賢明、自尊、自負、高潔。

(……)だが、おそらく、彼らは自己表現の必要を感じていないだろう。彼らは芸術家、つまり、芸術作品の制作者であるというより、  むしろ、主人公であり、いわばその存在自体が芸術作品である存在なのだ。

しかし、ここに、私が述べるかたつむりの教訓の主要な点の一つがある。それは彼らに特有なものではなくて、貝殻をもった生物がすべて共通してもっている教訓なのだ。彼らの存在の一部分であるこの貝殻は、芸術作品であると同時に記念碑なのだ。そして、それは彼らよりずっと永く残るのだ。
– フランシス・ポンジュ「かたつむり」

「牡蠣」「軟体動物」「かたつむり」「貝に関するノート」「海辺」  ポンジュの詩はモチーフも、世界との距離感も、とてもいい。

貝殻をもつ生き物たちは、指の先から乳色の汁を出しながら、死へ向けて貝殻を作り続ける。貝殻をもたないわたしたちも、自分たちなりのやり方で〈死に至る記念碑〉を少しずつ巻き上げている  人生というスパイラルを。