2018-11-14

詩篇の起源






先日、心というものが炎や虹と同じ〈現象〉であると書いたところ、友だちから

うん、立ちあがるものだ
こころは
あれだ
le vent se lève, il faut tenter de vivre
の 立ちあがる感じかな

というメールが届いて、あ、確かに「風立ちぬ。いざ生きめやも」の「風」と「心」も同期していたなと思いました。

この句はポール・ヴァレリー「海辺の墓地」の最終連(第24節)に登場します。地中海を見下ろす丘陵の墓地に坐し、まばゆい海を眺めながら、万物の静止する午後のひとときを「死」の瞑想に費やしていたヴァレリーが、やがて日が暮れかけ、風が立ったその瞬間、はっと「死」を脱して「生」に立ち返るといったシーンです。

Le vent se lève! . . . il faut tenter de vivre !
L’air immense ouvre et referme mon livre,
La vague en poudre ose jaillir des rocs !
Envolez-vous, pages tout éblouies !
Rompez, vagues! Rompez d’eaux réjouies
Ce toit tranquille où picoraient des focs !

風が立つ!. . . 生きなければ!
とめどない気流が私の本を開いてはまた閉じ
波はしぶきとなって猛然と岩にほとばしる!
舞え、まばゆい頁よ!
砕け、波よ! 砕け、心躍る水で
三角の帆がついばむその静かな屋根を!
(ヴァレリー「海辺の墓地」)

L’air immenseがたいへん稀な表現で訳しにくいですが、ピエール・ベール『歴史批評辞典』に「万物は広大無辺の空気(L’air immense & infini)から生まれ、常に動いている。この空気こそが全原理をつかさどる神である」というアナクシメネスの言葉があり、また神学的な歴史観においても度々この言い回しが出てくるので、この詩篇のL’air immenseも世界の極まるところのない様態を表しているのだと思われます。

で、ここから本題。ヴァレリーの有名な言葉に「詩は舞踏であり、散文は歩行である」というのがありますが、この詩篇も、もともと内容面の着想があったわけじゃなく、或る純粋なリズムのー形式(つまり目的のない運動それ自体)を思いついたことがきっかけで書き始めたそうなんです。そして書いては消し、書いては消しを繰り返しているうちに、作品の意図が己れの知らない何処かから出現したのですって  ざっと、5年かかって。