2018-11-30

水の文様



先の日記を書いた後に、また宮本武蔵について膨大な教養をもつと思しき別の方からメールを頂戴してしまい怯えています(テキトーですみません)。なにゆえこんなに武蔵は人気者なのでしょうか。

武蔵は全てがその中に入ってしまうくらい汎用性に富んだ言葉を使う人ですが、個人的な実感では、俳句は「人間が書く」のではなく「俳句が書く」のでは?と思ったりもします。つまり「ひらめき」が人間に属するものだとは考えない。この部分の説明がやっかいだなあと思案していたら、ちょうどよいツイートを発見。


本当に。全体は頂きもの、細部は人の技。仮に「ひらめき」が人の側にあるとすれば、その「ひらめき」とは「凄い何か」ではなく、きっと、ほんのちょっとした「抜道」の発見ってことなのでしょうね。
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「暗香疎影」といえば田能村竹田。でも構図のポップさゆえに尾形光琳の「白梅図」との関係の方が広く知られています。この変、深入りすると面倒なので(考証合戦になる)さっさと本題にゆくと「白梅図」に描かれた浅瀬の流水文は馬遠「十二水図」中の「寒塘清浅」に通じているらしいです。


なまめかしい画。男女の逢瀬って、こんな怖い感じなんですね。ついでに書くと、北斎の描く波頭の様態も「十二水図」に見られる表現。


馬遠の人気というのは、もちろん画が良いからなのでしょうが、林逋の大ヒットフレーズを図像化したというのも少なからずあるはず。わたしは2羽の水鳥が不思議な「秋水回波」や「細浪漂々」がお気に入り。