6月から『澤』の句評を担当しているのですが、『澤』ってこんなだったのか、うーん、とおもしろがっています。いろんな人がいるんですよ。で、少し前の句評をブログに使っていいかどうか編集部にきいてみたら「いいですよ」とのお返事。そんなわけで今日は高橋睦郎さんの卯波づくしを。
卯月波立てば疼きぬ舊き戀 高橋睦郎
卯月=疼きの音合わせに狂句っぽい雑味がありますね。あとこの句にはどうしたって平経正〈はつせがは岸の卯の花散るときは騒がぬ水も波ぞたちける 夫木和歌抄〉を添えないではいられませんよ。恋だもん。
まぼろしの卯波や銀座一丁目 高橋睦郎
作者自解によると「まぼろしの卯波」とは鈴木真砂女の料理屋「卯波」に銀座がかつて海だったことを重ね合わせたのだそうです。とすれば、この句をおいしく味わうには波打つ酒をよろこびつつ、またほんのりと宴にたゆたいながら、藤原家良〈しろたへの垣根に咲ける卯の花にもてなされたる夕月夜かな 夫木和歌抄〉を胸に薫らせるとよさそう。おもてなしの夜に。
卯の花の騒ぐを庭の卯波とし 高橋睦郎
卯の花=波の見立ては良経、西行、慈円など昔から少なくありませんが、この句は藤原重家〈卯の花の咲きぬる時は白妙の波もてゆへる垣根とぞ見る 新古今和歌集〉の仕立て直しでしょうか、とてもさりげない平句です。また卯の花といえばロビン・ギル『古狂歌 滑稽の蒸すまで』に、
暑い日は、納涼の効果が抜群で、この花が現に、白波に似る。北フロリダで卯の花の長い垣がまるで砂浜の大波の感じで瞼にサーファーも浮かんだ。花が重くなると崩れ方も波とそっくり。低い壁の外側で風もそちから来ると石の上に砕くようの枝振りまでもそうです。石垣の側だったら歌舞伎の意味での白波になってそれを越すが、それも。
との素敵な文章が存在します。ギルさんと同じく地中海性気候の田舎町で暮らす身としては、ああ本当にそうだなあと感じ入ることしきりです。