道喜よりどさと框へ粽五把 高橋睦郎
上島鬼貫の〈文もなく口上もなし粽五把〉をふまえた〈粽五把〉がかっこいい。どうやら〈へ〉の一語が、下五をダンディにみせる切り返しの機能を担っているもようです。
またわずか五把の粽に〈どさ〉という形容がはたして適切かどうかの点については、頭韻における〈道喜〉との音合わせで解決すると作者はふんだのでしょう。もっと言えば、まずもって〈道喜〉という屋号(京都の御ちまき司「川端道喜」のこと)があってこその〈どさ〉なのだろうと。
ひとつ付記すると、鬼貫の句は松永貞徳と木下長嘯子とのあいだで交わされた手紙が発想源です。長嘯子『挙白集』によると、貞徳が〈近き山紛はぬ住まひ聞きながらこととひはせず春ぞ過ごせる〉という歌を添えて粽を送ってよこしたのに対し、長嘯子が〈千代経ともまたなほ飽かで聞くべきはこの訪れや初ほととぎす〉と返歌したとの話。実はこれ、どちらの歌も沓冠折句で、貞徳は「粽五把まひらする」、また長嘯子は「粽五把もてはやす」の文字列を隠しているのでした。