在らぬさへ見あかしあはれ見しことの 夜景
江戸の歌や句を読んでいると、哲学的触手の濃厚なものが多くて驚きます。いろんな人が、あの手この手で、〈この世界の確かさと不確かさ〉を同時に言語化しようとしているんですよね。
うつつなきつまみごころの胡蝶かな 蕪村
うつつとは思えぬ存在の感触が指先にあるーー存在と不在のおりなすこの種の表現は、いつでも句歌の掘り下げてきたところです。
器世界に物ありひとつ朧松 也柳
各務支考『三千化』より。具象と抽象の重なりあうところに生まれる静かな情趣。〈物あり〉と断言しつつもそれが〈朧〉に包まれているという矛盾。ここには本質と現象との〈近くて遠い仲〉がたくみに描かれています。器世界は自然環境としての世界のこと。サンスクリット原語でも文字通り「容器たる世界」の意味だそうです。
●参考「LETTERS」より
「存在の青い灰」江戸の句に見える「世界」について1、2
「なしのたわむれ」狂歌に見える存在と不在について1、2