2019-08-11

2つの反戦詩



5月25日に小鳥書房で行ったイベントのメニュー「戦争」より2品。

「原爆歌」橋本循 (1970年)

君不聞 昭和二十乙酉年 八月六日廣島天 米機來襲投原爆 忽化焦熱地獄淵 煙焱一閃百雷起 日色爲瞑腥風裡 膚破肉爛廿萬人 赤裸握拳無辜死 連甍比屋悉焼夷 茫茫廢墟只積屍 兒別父母妻喪夫 老弱啼泣聲甚悲 嗚呼 星霜屈指二十六 猶説夜深孤魂哭 人衆勝天是耶非 百代譏評豈可覆

君聞かずや
昭和二十 乙酉(いつゆう)の年
八月六日 広島の天
米機来襲して原爆を投じ
忽ち焦熱地獄の淵と化す

煙焱一閃 百雷起こり
日色 瞑と為る 腥風(せいふう)の裡
膚破れ 肉爛(ただ)る 廿万(にじゅうまん)の人
赤裸 拳を握りて 無辜(むこ)死す

連甍比屋(れんぼうひおく) 悉く焼夷し
茫茫たる廢墟 只だ屍(しかばね)を積む
児は父母に別れ 妻は夫を喪し
老弱 啼泣して 声 甚だ悲し

嗚呼
星霜 指を屈すること二十六
猶ほ説く 夜深くして孤魂哭すと
人衆ければ天に勝つは是か非か
百代 譏評(きひょう) 豈に覆(くつがえ)すべけん



「原爆行」土屋竹雨 (1957年)

怪光一線下蒼旻 忽然地震天日昏 一刹那間陵谷変 城市台榭帰灰塵 此日死者三十万 生者被創悲且呻 生死茫茫不可識 妻求其夫兒覓親 阿鼻叫喚動天地 陌頭血流屍横陳 殉難殞命非戰士 被害総是無辜民 広陵惨禍未曾有 胡軍更襲崎陽津 二都荒涼鶏犬尽 壞墻墜瓦不見人 如是残虐天所怒 驕暴更過狼虎秦 君不聞啾啾鬼哭夜達旦 残郭雨暗飛青燐

ひとすじの奇怪な光が
秋の青空から降ってきたかとみるや
いきなり地に激震が走り 天が闇に覆われ
丘が 谷が あっという間にそのすがたを一変し
街中も 高台も ことごとく燃えつきて灰となった
この日の死者は三十万
命をつないだ者たちは傷を負い 悶え苦しむ
誰が生きていて 誰が死んでいるのか
果てしなく虚ろな光景からは窺い知ることもできない
妻は夫をさがしまわり 子は親をもとめさまよう
むごたらしい陰惨と混乱
にんげんの泣き叫ぶ声が天地にどよめき
道端には血まみれの死体がごろごろ転がっている
国難に殉じて死んだ彼らは兵隊ではない
癒えない傷を負ったのはみな罪のない民衆だ
だが広島をいまだかつてない悪夢に陥れたあと
さらに異国の軍は長崎の港を空爆した
二つの町は荒涼たる野と化し 鶏も犬も死に絶え
垣根は押し潰され 屋根瓦は崩れ落ち
いまや人の影すらない
この暴虐はかならずや神の怒りに触れるだろう
この残忍はかつての始皇帝をはるかに凌ぐのだ
君にはわからないのか
夜どおしせつせつとすすり泣くあの亡霊たちの声が
廃墟に暗い雨が打ちつけるなか青白い燐光のさまよう姿が


橋本循(1890-1988)は白川静の恩師。こちらで二人の関係を詳細に綴った白川静の文章が読める。土屋竹雨(1887-1958)「原爆行」の翻訳は拙著『カモメの日の読書』より引いた。

橋本「原爆歌」は訳さずとも意味のわかるところが面白い。これは橋本が和臭のそしりを恐れずに日本語の語彙をそのまま用いたからで、殊に「広島」「米機」「原爆」の3語が生々しい。ちなみに土屋「原爆行」では「広島」が「広陵」、「長崎」が「崎陽」、「米軍」が「胡軍」、「米国」が「秦」とそれぞれ言い換えられ、また「原爆」という新語も用いられない。

一方、両詩に共通するのは歌行体の七言古詩であること。それから杜甫「兵車行」を本歌取りしていること。借りているのは「君は見たことがないのか、戦場では昔から白骨を埋葬するものもなく、新しい亡霊は恨み、古い亡霊は嘆き、空はくぐもり、雨はそぼふり、死んだ兵たちがしくしくと声を漏らして泣くのを」といった詩のラスト部分。

君不見青海頭
古来白骨無人収
新鬼煩冤旧鬼哭
天陰雨湿声啾啾

君見ずや 青海のほとり
古来 白骨 人の収むる無く
新鬼は煩冤し 旧鬼は哭し
天陰り 雨湿して 声啾啾(しゅうしゅう)たるを
杜甫「兵車行」

補足。「原爆歌」は内田誠一「橋本循『原爆歌』初探」で見つけた作者自身の筆になる書幅(1973年)に拠り、『蘆北山人詩草』(1982年)収録のものとは異同がある。内田氏の論文では両者の異同が画像つきで紹介されている。