きのうは挨拶歌、挨拶句について書くはずだったのが、酒の話に流れてしまった。もう一度しきりなおして、大伴旅人の讃酒歌は山上憶良のこんな挨拶歌と並んでいる。
わたしはこの歌が「酒宴を中座する際、すでに老人だった作者がふざけて詠んだ歌」であるとは中学校で習わず「作者は家族思いのやさしい人。小さい子供たちの顔が浮かぶようですね」と教えられた。不幸な体験である。真実を知ったのちにこの歌をもういちど見たら、即興ならではの畳み掛けるような言葉のリズムや結句の見得の切り方などが、思いの外パンキッシュであることに気づいた。町田町蔵の作と言われても納得しそう。
一方挨拶句で好きなのは青畝の、
これ。笑っちゃうほどのすごーいサブカル臭。作者が西尾維新でも全然驚かない。「山又山」と「山桜又山桜」の、ミニマリズムなのか単に身も蓋もないのか俄には判断できかねるぶっきらぼうな様式美が、人工知能風のエロスというかなんというか。
ところでわたしも挨拶好きゆえけっこうな数の挨拶句を書き、またそのうちのいくつかは句集にも入れた。えっと、たとえばこういうの と、憶良、芭蕉、青畝とやばいくらいの有名人のあとに自作を出すのは正直じぶんでも頭おかしいと思うのだけれど、ここはわたしのおうち(ブログ)なのでその辺あまり気にしないでほしい。なにとぞ。
憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむそ 山上憶良
わたしはこの歌が「酒宴を中座する際、すでに老人だった作者がふざけて詠んだ歌」であるとは中学校で習わず「作者は家族思いのやさしい人。小さい子供たちの顔が浮かぶようですね」と教えられた。不幸な体験である。真実を知ったのちにこの歌をもういちど見たら、即興ならではの畳み掛けるような言葉のリズムや結句の見得の切り方などが、思いの外パンキッシュであることに気づいた。町田町蔵の作と言われても納得しそう。
一方挨拶句で好きなのは青畝の、
奈良七重七堂伽藍八重桜 松尾芭蕉
山又山山桜又山桜 阿波野青畝
これ。笑っちゃうほどのすごーいサブカル臭。作者が西尾維新でも全然驚かない。「山又山」と「山桜又山桜」の、ミニマリズムなのか単に身も蓋もないのか俄には判断できかねるぶっきらぼうな様式美が、人工知能風のエロスというかなんというか。
ところでわたしも挨拶好きゆえけっこうな数の挨拶句を書き、またそのうちのいくつかは句集にも入れた。えっと、たとえばこういうの
中年や遠くみのれる夜の桃 西東三鬼
夜の桃とみれば乙女のされかうべ 小津夜景