2016-11-22

ゆらめく閃光





俳句を書くことのおもしろさは「モノをつくることの目的はモノをつくることそれ自体である」という原理がみえやすいところだと思う。もちろん他の文芸でも似たような感触を得ることは可能だ。が、いかんせん俳句よりも(主に文字数の関係で)表現を宿しやすい分、他人の目線といった内省が初手からついてまわる。

「わたしはこのような体験をした」と意識する以前のこころのうごき。「人に伝わるように(或いは伝わらないように)書くには?」と思案する以前のことばのかたち。コミュニケーションに侵される以前の、どことなく見慣れない文字。そんな文字に囲まれて一人遊びに没頭するたのしさ。飽きるまでつづく戯れのさなか、ひょい、と思いがけないかたちに積み上げられたことばの、あの感動的なゆらゆら。

ことばの純粋なる屹立とは、そんな〈ゆらめく閃光〉としか言いようのない神秘のしぐさを指すのではないか? ことばがゆらりと立ち、そして倒れるとき、そこに詩の舞踏を感じるのもまたそういったわけだ。

鳥の巣に鳥が入つてゆくところ  波多野爽波