2016-11-13

『週刊俳句』のススメ



突然ですが、俳句と自分とのなれそめについて書こうと思います。というのも、どうやら来週の日曜日が週刊俳句(以下「シュウハイ」)の500号記念らしいんですよ。それで自分にとってシュウハイがどれだけ特別なのか、感謝の意味も込めてたまには文字にしておこうかなと。なるべく短くまとめますので、嫌がらずに読んでやってください。

わたしは『豈』の攝津幸彦賞準賞をいただいたことがきっかけで俳句を始めたのですけれど、実をいうとそれ以前にも俳句を書いたことが一回だけあって、それが小中高校時代ではなくてですね、シュウハイ主催の第2回「10句競作」という企画だったんです。この企画が発表された数日後、まさしく文字どおりの偶然から『週刊俳句』という、なんだかよくわからない怪しげなサイトに迷い込んでしまったわたしは、しかし妙にオープンな場の雰囲気をひと目で気に入って、つくったこともない俳句をいきなり「競作」に送りつけました。もっともこのときは中村安伸さんの選を受けたことで満足し、俳句そのものに興味をもつには至らなかったのですが。

俳句はどうでもよかったものの、ごくたまに覗くシュウハイの、あいかわらずぎょっとするような風通しの良さはやはり好ましく、その後もトップ写真を3回ほど投稿したり、俳句と関係のない記事をさがしては読んだりしていました。

先の「競作」から1年と少し経った頃、このブログで見つけた高山れおなさんの『俳諧曾我』をジャケ買いしました。はじめて手にする句集です。これが信じられないくらい肌に合った。で、その作品に感動したわたしは、思わずふらふらとシュウハイに感想文を送った(そしてまた本人に会ってみたいという俗っぽい動機から彼が審査員をつとめる攝津賞にも原稿を送った)のでした。

そんなわけで、俳句とのなれそめが生じたのは、作句文章共に、シュウハイのゆるーい空気のたまものだった訳です。

シュウハイは、ほんとうに、誰でも飛び込みで書くことができます(たぶん)。結社、同人誌、一時のグループとなんでもいいですが、俳句を書くのにそういった仲間は必要ありません。一人で楽しめるのが俳句です。とはいえたった一人で書いている人間が外の世界にアクセスしたくなったとき、それがいとも簡単に可能なのはシュウハイだけだという事実にわたしは何度気づいたことでしょう。そんなわけで、来週500号を迎えるシュウハイには、この先もずっと続いてほしいなって思うんです。もちろんただ続くのではなく、できることなら「これ、立て付けが悪いんじゃないの?」ってくらい風通しの良いままで。はい。