2017-09-03

スリムな身体



短歌というのは、連作を編むときに各人の読解力が如実にあらわれるジャンルですが、一首の代謝能力もよくわかるなあと、さいきん加藤治郎「ヘイヘイ」の作品評日記を書いて思いました。

短歌連作の序盤の入り方には定石パターンみたいなものがあって、作品の巧拙はともあれその物腰は割と似通っています。しかしながら冒頭3首で作品の輪郭が決まり、またその意図が伝わることは滅多にありません。普通はいわゆる様子見的な、いまだ〈方向の定まらない情緒〉が漂っているものです。実のところは様々な事情ゆえにそうなるわけですが、「ヘイヘイ」を読んだあとで他の連作を読むと、その〈方向の定まらない情緒〉がすべて贅肉に見えてしまうくらいこの作品は冒頭の、そしてまた全体のシェイプが綺麗なのでした。

評にも書いたとおり「ヘイヘイ」の歌には余分な情緒がない(贅肉がない)。それでいて必要な情緒はちゃんとある(贅肉を恐れてハード・ダイエットに嵌まっていない)。一首一首が、とてもスリムで均整のとれた体つきをしている。

あと詩型の融合がこんなにスムーズにいった作品も珍しい。これはたぶん「詩のパートになにをさせるか?」といった機能美的判断が最初にあったからではないかと推測するのですけど、どうなのでしょう? 他ジャンルのことって、わかるようでわからない。だから「この道具を、うちではどのように使うのか?」と考えながら、その道のプロには思いもよらない方法を考案すること(いまわたしはカンフー映画の小物づかいを思い出しながら書いてます)がとても大切。「ヘイヘイ」のスマートさの基底にあるのは、そういったプラグマティックな感覚だと思います。

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