2017-09-09

武術と奇術



小津が大粒の涙をのんで流されるシリーズ第二回が週刊俳句にアップされています。今回の話題は竹岡一郎『ふるさとのはつこひ』について。

(く)えし半身虹もて補完せり吶喊(とつかん)  竹岡一郎

音声中、わたしが何度も口にする「舞」という語は伏せ字です。実際には、目の前で竹岡さんが演武してくれていた武術の技の名前が入ります。竹岡さんの流派が比較的めずらしいものなので公言を控えました。唯一、竹岡さん自身が「てんしけい」と言っているのは陳式太極拳の「纏絲勁」のこと。その他「中村汀女のことばの動きは八卦掌」といった点でも両者の意見が一致していたことがわかり、とても新鮮な一日でした。

ところで、上の句と似たリズムをもち、かつ竹岡さんが好きだと語る、

西日暮里から稲妻みえている健康  田島健一

については、武術ではなく曲芸や奇術のテンポを感じます。竹岡さんの方は腰の高さが一定し、動き出しの息を最後まで温存しつつ引っぱっている一方、田島さんの句はジャグリングのように腰が大きくゆれている。

また奇術というのは、合理的な原理を用いてあたかも〈実現不可能なこと〉が起きているかのように見せかける芸能(@wiki)ですが、田島句の語の構成、とりわけ座五のからくりには、俳句原理の中に〈合理的不可能〉を探求する姿勢が感じられます。そしてわたしは、この姿勢のひとつの到達点が〈悪の名詞化この世まばゆいチューリップ〉であるとも感じているのでした。

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