2016-09-11

つかのまの湧出物、猫のゆりかご - 可塑性について (3)




きのうのブログで「やわらかな幾何学」という言葉が頭に浮かんだとき、自分が生まれてはじめて書いた俳句に関する文章が高山れおなの「三百句拾遺」論だったのを思い出した。なぜそんなことを思い出したのかといえば、その論につけた「つかのまの湧出物」というタイトルが、つまるところ「三百句拾遺」に内包される可塑性を指していたことに気づいたからである。しかも論の結末あたりを読むと、あやとりをめぐる閑想と基本的に同じことしか考えていない。

姉いつまで地に醴(あまざけ)を流す旅  高山れおな

(…)最後にこの本を読むにあたって留意されるべきことを付け足しておくならば、ひとつは(論の繰り返しを含むが)いかに完全無欠な外見を具えていようともこれらの句群が回想の力を借りた「地すべり/地ならし」の過程に析出されるつかのまの湧出物であり、それ故それらの句には別の世界、別のあり方、別の美しい一句が潜在している(つかのまの湧出物/高山れおな「三百句拾遺」、『俳諧曾我』所収を読む


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昨日の記事に少し書き足し。ハヤカワ文庫版のカート・ヴォネガット『猫のゆりかご』では装画のモチーフにあやとりが使われている。このSF小説でヴォネガットはシカゴ大学から人類学の修士号を授与されたそうだが、Australia's audiovisual heritage onlineで紹介されている『真珠と未開人』(Pearls and Sauvages,1921)というフィルムにこの「猫のゆりかご」を編むシーンがあった(2:10あたりから)。だから何ということはないのだけれど、ええと、ヴォネガット好きの人のための豆知識だと思ってください。