謎彦「甲賀流のためのエチュード」は、この作者にしては珍しく「若者らしい」作品だ。
「甲賀流のためのエチュード」 謎彦
まきものをくはへてをればまきもののにがみが舌をはひずりまはる
スパイスのとれる草木を束にして石田ゆり子の尻へぐぐつと
飛行機とビルが心中するさまをぼくたちは折り紙であらはす
巻物の正体は、まさか大宝律令?
租庸調おひはぎながらコンビニもないころなりに愛しあつてた
天地初めて発けし時、高天原に成れる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神。此の三柱の神はみな独神と成りまして、身を隠したまひき。
天地(あめつち)のあちらこちらでメーリングリストみたいにだまつてしまふ
そのへんにころがしてある森雪を小型二輪に改造しやう
ルービック・キューブの中にしあはせな老廃物の一部屋がある
BOMB! BOMB! BOMB!
BOMB! BOMB! BOMB!
つれてつて東村山四丁目、東村山三丁目、ワ〜オ!
BOMB! BOMB!
BOMB! BOMB!
S極にむらがる鉄はさしあたり加藤諦三ほどえらくない
レーニンならこのあひだまで冷蔵保存されてゐた
「人類はみな兄弟」と宣るひとを特殊メイクで鳩に似せやう
ざっと一望するに、中三句から下の句にかけての文体が、若者短歌らしい情緒を巧みに表現しているようす。またギミックにかんしても、三首目の「ぼくたち」という言葉づかいに漂う〈無垢性〉、テロという重量感の際立つ現実を「折り紙」というフラジャイルな質感によって把握する〈裏返しの全能感〉、あるいは四首目の「コンビニ」と「愛」といった恥ずかしいとりあわせにみられる〈類型的な青春性〉、あるいは五首目の「メーリングリストみたいにだまつてしまふ」に現れる〈みんなぼっちの感覚〉と、至るところたいへん青臭い。ほかには「ルービックキューブ」の歌に内包されていそうな〈ナイーブな傷つきやすさ〉も吟味してみたいところか。で、言うまでもないことだが、もとより謎彦はこうしたギミックを注意ぶかく相対化しつつ詠んでいるのであり、まただからこそ「ワ〜オ!」とドリフネタの炸裂する単純で馬鹿馬鹿しいクライマックスがじーんとくる。
ちなみにこの中でわたしがいちばん好きなのはコンビニの歌。歌自体もスマートだし、なにより「巻物の正体は、まさか大宝律令? 」の詞書がかわいいから。