朝、目を覚まして思ったこと。なにかを考える、というのではなく、思考の空間そのものがふわっと広がっている感じ。自分の声がはっきりとは聞きとれず、単にコトバの音楽として鳴っているっていう、そういう感じが割と好きらしい。
記憶についてもそう。なにかを思い出す、というのではなく、記憶の空間そのものに埋もれてしまって、周りにあるモノがなんなのかちゃんと見ないまま、ただその光に立ち会っている、というのがいいんですね。
記憶の空間のなかに埋もれているときは、まるで耳と耳とのあいだに静かに座っているみたいだった。この「耳と耳とのあいだに座る」というの、アイヌの表現で死を意味するんですよ。
〈忘れられた世界〉は、もうただ、どこまでも、どこまでも、どこまでも、どこまでも、どこまでも、どこまでも、どこまでも、どこまでも、どこまでも続くのである。こういえば、あなたにも感じはわかるだろう。わたしたちのところより、遥かに大きい。(ブローティガン『西瓜糖の日々』)