2016-09-03

自由としての〈空気〉





昨日の『大頭脳』の話のつづきでカザール・カーンのこと。

空気を材料にするのが得意な人というのはたまにいますが、カザール・カーンもその一人。彼の持論は「軽くなることは美しくなること」で、土地や建築への従属からの解放と謳われている空気構造の家具「エアロスペース」(1968年)をつくったのもそういうことらしい。そのほか水に浮く家、シースルー自動車、竹製の自転車、どれをとっても〈定住〉という重々しさへの反抗(というか、すっとぼけ)が感じられる。

固定性、永続性といった〈不動の権力イメージ〉へのアンチうんぬん、といった教科書臭い解釈はとりあえず脇に置いて、わたしがわくわくするのは、彼のつくった奇抜な家具以上に、彼自身が自由な雰囲気を纏っているところ。

自由を訴えるのではなく、自由そのものを追い求めること。まじそれがアートっすよ。前者はいわゆる政治。〈政治としてのアート〉という概念はたしかにあるけれど、その路線で成功しているものは、やはり自由を(往々にしてアノミー的なまでに)希求している。本人の問題意識を作品が越えちゃっている、というか。あ、カザールの作品はこちらこちらで見られます。