1970年前後の〈空気構造〉にまつわる作品には、文字通り浮き浮きするようなのがいっぱいある。が、空気というのは「エコの中のエコ」ともいうべき素材ゆえ、ちょっと油断すると、いきなり紋切り型の政治的言説に絡めとられるのが厄介なところ。
その点、ハウス・ルッカー社の空気づかいは当時の趨勢だった文明批判やらヒッピー・ムーヴメントやらの文脈をふわっと回避していて嬉しい。下の写真は外界を遮断して自己の内面世界を省察するためのヘルメット。これ、肺胞をイメージしているそう。さすがは空気系である。こんなものをかぶって自己を省察できるはずのないところがバカバカしくてたまらない。
あとですね、堅固な建築物から空気の膜がぷうっと吹き出していたらかわいいよね!といったコンセプトで同社の開発した「空気宇宙(Pneumakosm)」も、生命体の気ままさというか、無駄の多い感じというか、能天気なワンダーというか、ええとつまりは、
その点、ハウス・ルッカー社の空気づかいは当時の趨勢だった文明批判やらヒッピー・ムーヴメントやらの文脈をふわっと回避していて嬉しい。下の写真は外界を遮断して自己の内面世界を省察するためのヘルメット。これ、肺胞をイメージしているそう。さすがは空気系である。こんなものをかぶって自己を省察できるはずのないところがバカバカしくてたまらない。
あとですね、堅固な建築物から空気の膜がぷうっと吹き出していたらかわいいよね!といったコンセプトで同社の開発した「空気宇宙(Pneumakosm)」も、生命体の気ままさというか、無駄の多い感じというか、能天気なワンダーというか、ええとつまりは、
何だこれこのいきものを愛している 川合大祐